ノウゼンカズラの思い出
ノウゼンカズラは私にとって特別の花です。 私は鹿児島で生まれ育ちました。 私が住んでいたのは、鹿児島市内から車で30分、「重富」と言う場所です。 高校から大学の7年間、市内へ汽車通学をしていました。 (鹿児島では電車は路面電車のこと、 あの頃は日豊本線にはまだ何本か蒸気機関車が走ってました。) |
その通学途中「竜ヶ水」の駅の、ちょうど私が乗ってるあたりのまん前の家にそれは見事な“ノウゼンカズラ”の花がありました。 その当時、そのエキゾチックなオレンジの花はそこ以外で見たことはなく、私に夏の訪れを告げる花でした。 あの当時・・・高度成長に日本が沸き、その歪みとしての学生運動の激化、公害の発生・・・ でも将来に対して限りない夢と、不安があった時代。 あの頃の私、悩み、傷つき、笑い、いろんな思いであの花を眺めました。 私は“ノウゼンカズラ”の花を見て、しばし、癒されていたような・・・。 |
片側には桜島を望み錦江湾、 片側は緑なす山々。 今でも帰省してその風景を眺めると“ふるさと”へ帰った実感が湧きます。 でも、でも・・・。 覚えていらっしゃるでしょうか、93年の水害を? その時、駅に停まった列車が土砂に押し流されていた、あの写真。 「プロジェクトX」でもやってました。 まさにあの駅です。 もう、あの駅を通ってもあの家も、“ノウゼンカズラ”もないのです。 でも、思い出の中にはノウゼンカズラを眺めている、高校生の私がいます。 |